歴史

古来、王朝文化の中心地であった奈良は、都が移された平安期以降も豪華な宮廷建築や寺院・神社の内装儀式用など、特殊な織物を求められることが多く、衣類以外のさまざまな織物技法が鍛錬され、開花しました。
中でも麻織物は、鎌倉時代、南部寺院用に織られていたという記録があり、16世紀末頃には現代においても上質な晒の代名詞である「奈良晒」が誕生。
また、高級夏着物で知られる上布は、近江や越後、薩摩などでも作られていましたが、奈良で作られた「大和上布(じょうふ)」は、「麻の最上は南都なり」と言われるほどに珍重されました。

 

江戸時代になると、奈良晒は大和木綿・大和絣など、綿織物の技法と融合することで大きく発展。それまで綿糸は人の手でつむぐのが一般的でしたが、明治時代に機械式紡績が導入され、タテ糸に機械式紡績糸を使用した片麻蚊帳が普及します。
以降、高級品として庶民に手の届かなかった蚊帳が一気に身近なものになり、奈良の地場産業として大きな発展を遂げました。

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その奈良にあって、当家も永年、蚊帳生地の製造業を営んで参りました。
先代の祖母が、蚊帳生地を裁断する際にできるハギレを有効活用しようと、生地を重ね折りし自家用にふきんに仕立て、使用しておりましたものが、とても使い勝手が良かったため、友人・知人に差し上げたところ、大変なご好評をいただき、たくさんのうれしいお声をいただきました。それならば、より多くの方に、お求めいただけるようにと、一定の寸法で製造したのが「白雪ふきん」の始まりです。
万葉の頃より、脈々と受け継がれてきた織物の技術と伝統を生かした「白雪ふきん」は、奈良 東大寺で毎年8月7日に行われる大仏さまのお身拭いにも、毎年献納いたしております。